こんにちは!ぐり (@guri_makenai) です^ ^
正月から『オーバーロード』というアニメ化された小説をだらだらと読んでます(笑)
アニメは、Amazonのプライムビデオで全部見れます(1期〜3期)。
ガイコツが主人公、というそれだけで興味のそそられる内容です。
主人公のモモンガ(アインズ様)が元営業マン、という設定もあったり。
これは全巻読んでしまうだろうな…
ホログラムと結婚?
それはそうと、新年早々、こんなニュースを見つけました。
この男性-近藤さん-は、初音ミクというバーチャルアイドルと結婚式を挙げたそうで、海外や日本国内から注目を集めているそうです。
これは、注目集まりますよね。生身の人間と結婚するのが常識なのに、その常識を見事に破っています。
常識を破ったり、覆したりするキャッチコピーには、人を惹きつける力があるので、営業でかなり使えます。
今回の例だと、『ホログラムと結婚』という部分だけで常識を覆していますね(^_^)
『愛の欲求』の対象の変化
で、書きたいと思っていたのはこの話ではなく(笑)、マズローさんの『愛の欲求』の対象について。
近藤さんがその愛の対象としているのは、初音ミクという仮想の存在です(言葉が矛盾してますが…)。
よく『2次元に恋する』とか言われますが、『愛の欲求』というのは、恋愛の意味に限られるわけではなく、広くコミュニティへの愛を含みます(親の子供への愛情は、恋愛ではない)。
この意味での愛の対象であるコミュニティは、以前は生き物だけに限られていたと言えます。
例えば、恋人、家族、友人、会社(の同僚たち)、ペットなどです。
ペットは、法律上はモノ扱いですが(他人のペットを殺しても器物損壊にしかならない)、間違いなく生き物ですよね。
でも、初音ミクは、生き物ではないですよね?もっと言えば、初音ミクがホログラム化しようがロボット化しようが、3次元の空間に生身がありません。
これが何を意味するかといえば、生き物『らしい』ものに対しても、愛の感情が芽生えうるということ。
で、この生き物『らしい』ものっていつから出てきたんだろう?と考えてみたのですが、おそらくマンガが出てきた戦後あたりからだと思います(細かい話は無視してます)。
マンガのキャラクターですね。
戦後ということで、多くの人にとって、マンガのような娯楽をたしなむ余裕はなく(『生理の欲求』『安全の欲求』まで)、またテレビも普及していない時代です。
この頃はまだ、キャラクターに対して愛を感じる時代ではなかったと思います。
マンガは静止画で、アニメは動画でもモノクロの時代(『鉄腕アトム』のテレビアニメ放送が1963年~)。
今と比べると、技術的にもまだまだで、生き物『らしい』とも言い難かったはずです。
それが、日本が経済的に豊かになってテレビが普及してくると、人の欲求が、徐々に下の階層が満たされて、上の階層へとシフトしていきます。
それとともに、技術的な向上と相まって、娯楽であるマンガやアニメへの需要が高まっていったのでしょう。
少子化が進んでいったということもあり、マンガやアニメが『子供が観るもの』から『大人も観れるもの』へと移り変わっていきました。
ちなみに、二次元コンプレックスという言葉があるそうで、二次元キャラクターに対してのみ、性的感情、恋愛感情を抱く現象を意味するそう。
この頃からキャラクターを生き物『らしい』と人が感じ始めた、と言えるかもしれません。
ELIZA(イライザ)
生き物『らしい』ものの例は、実は昔のコンピューターにもあります。
それは、1964年に開発された『ELAIZA(イライザ)』という対話システムです。
例えば、人が『頭が痛い』と入力すると、『なぜ頭が痛いの?』とか『他に誰が頭が痛いの?』返してくるそうです。
これは、この入力があったらこう返す、という単純なルールを作っただけのシステムだったようなのですが、こんなシステムでも人は対話をしている気になっていたそうです。
当時、イライザとの対話に夢中になる人が出て、対話の記録を見ようとすると「プライバシーの侵害だ」として拒んだり、「対話中は部屋にひとりきりにしてくれ」と頼んだりする人もいたそうです。このように、単純なルールで記述された言葉でも、そこに知性を、愛着を感じてしまうところが、人間の面白いところです。
で、何が言いたいかというと、このイライザと人との構図と、今回の初音ミクと近藤さんの構図が似てませんか?ということです。
自分の居場所があるところに愛を求める?
イライザにハマった人や、近藤さんの詳しい事情は知りませんが、おそらく、今あるコミュニティでは愛の欲求を満たすことができず、それがたまたまイライザや初音ミクへと向けられたのではないか?と思います。
人は誰でも、何かしらのコミュニティに所属しているものです。コミュニティの最小単位は1対1です。
誰かと関わっていると言っても良いです。
ですが、それだけでは、愛の欲求を満たすことはできません。
愛の欲求が満たされたと言えるためには、そのコミュニティが『ココが自分の居場所』と感じられることが必要です。
コミュニティを複数持っていても、どこにも自分の居場所がないなら、その人の愛の欲求は満たされません。
そんな状況の中で、新しく自分の居場所を見つけることができたら、どうでしょうか?その新しいコミュニティを最優先にするのではないでしょうか?
イライザや初音ミクの例も、このような感じなのかなと思います。
追伸
ところで、初音ミクのホログラムを発生させる機械は、「Gatebox(ゲートボックス)」というのですが、なんと15万円(税抜き)するそうです。
中々のお値段ですね(^-^;
ただ、自分の居場所を作るためなら、15万円は全然払える額なのでしょう(愛の欲求に基づいているため)。
コミュニティビジネス(定義が曖昧だけど)と言われるものの本質が、『居場所を作ること』にあるのかな?と感じました。
ではでは( ˘ω˘ )
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